今夜はお泊まり、明日はお休み、2人で会うのは久しぶり。やのに、HiMERUはんはせっせと机に向かっている。
絶対にすると思っていたのに、今夜はしませんよとあしらわれたのが1時間ちょっと前。ファンレターが溜まりに溜まっているらしい。これだけ忙しく働いて、大量のファンレター全てに返事を、それも手書きで送っていたら溜まるに決まっている。
でも、今も返信を続けるHiMERUはんの気持ちは分かる。分かるから、大人しくしていた。勝手知ったる恋人の部屋。ちゃっちゃか風呂に入り、髪や顔のケアをして、ベッドでスマートフォンを見ていた。このベッドが良くなかった。だって、めっちゃHiMERUはんの匂いがする。
HiMERUはんが乗り気じゃないなら仕方ない。そう諦めていたのに、甘やかな匂いが鼻腔をくすぐる。シャンプーや洗剤の匂いというより、HiMERUはん自身の匂いなのかもしれない。シーツより枕の方が濃く香る。
軽く鼻先を当て、スンと吸い込む。雨の夜に咲いた花のような香気は肺を、胸を満たした後、身体中を巡って、あらぬところに辿り着く。今夜はしませんよ。HiMERUはんの口調を真似て、自分に言い聞かせる。
視線を上げると、HiMERUはんは柔らかな笑みを浮かべ、せっせと手を動かしている。直径0.3ミリメートルのボールが紙を滑る、その小さな音が静寂に吸い込まれて消えていく。
こうやって、ただ同じ空間で過ごすのも心地いいと思う。HiMERUはんと一緒にいるだけで幸せ……その思いに偽りはない。でも、今夜はどうにも、ちんちんが言うことを聞いてくれない。
「なあ、HiMERUはん?」
区切りの良さそうなタイミングを見計らって声をかける。
「なんですか?」
思った通り、すぐに手を止めて振り向いてくれた。
「ちょっと休憩せん? もう1時間以上経っとるよ」
ちょいちょい。軽く手招くと、HiMERUはんは苦笑いして立ち上がる。魂胆が見え見えなのかもしれない。
明日は昼から、嵐はんが出る映画を観に行く約束をしている。その後、新しくできたカフェで固めのプリンを食べて、買い物でもして、夜はシナモンへ行こうと話していた。だから、手紙を書くのは今夜でなくとも、明日早めに起こせばいいような気がする。
時間の都合はいいとしても、問題はどうやってHiMERUはんにその気になってもらうか。
「ここ座って。肩揉んだるわ」
言いながら起き上がると、HiMERUはんはパチパチと瞬いた。
「どういう風の吹き回しですか?」
「ええから座りや」
明らかに怪しまれているのが分かって、半笑いで促す。これ以上見つめ合っていたら、何を企んでいるのかバレてしまう。隠し事は得意なはずなのに、姉はんとHiMERUはんには昔からほとんど通用しない。
「よし、やるで」
「お願いします?」
「なんで疑問系やの。大丈夫、わしけっこうこういうの得意やで」
なんとかその気にさせたいという思惑はさておき、労わる気持ちは自体は本物なので、まずは真面目にマッサージを施す。寒い日が増えてきたからか、僧帽筋をグッと押し込むと、想像以上に凝っていた。
「お客はん、けっこう凝ってはりますね」
「んっ……ええ、気持ちいいのです」
カーディガンを羽織った背中にグッ、グッと力を入れると、時々鼻にかかったような声が漏れ出る。おまけに、俯いているお陰でうなじが剥き出しになっている。いくつも歳上には見えない、白くてきめ細やかな肌。
吸い寄せられるようにくちびるで触れて、怒られる前に抱きついた。
「はい、おしまい」
「ありがとうございます。視界がすっきりしました」
首に回した腕がトントンと叩かれる。続きを書くから離して、という意味なのは承知の上で、もう少しだけ力を込める。離すわけないやろ、という意味で。
「HiMERUはん、いつもと違う良ぇ匂いする。シャンプー変えた?」
「おや、よく分かりましたね。変えたというより、リニューアルされたのです」
「前のも好きやったけど、わしこっちのが好きかも」
襟足に鼻を擦り付けると、HiMERUはんは腕の中で小さく身動ぎをした。
「桜河、くすぐったいんですが」
「もうちょっとだけ」
「言いましたね?」
返事はしない。もう一度だけうなじをくすぐって、宙ぶらりんになったHiMERUはんの手を捕まえる。今度は耳の後ろに鼻先を埋め、ゆっくり呼吸する。
「はぁ、良ぇ匂い」
「ちょっ……桜河!」
首をすくめるHiMERUはんの耳をくちびるで食む。は、と吐息をかけると予想通り、小さな嬌声が上がった。HiMERUはんは耳が弱い。
「なあ、ちゅーしよ?」
赤くなった耳に直接吹き込む。ダメ押しで口付けて、ちゅっと音を立てる。
「ちゅーだけでもあかん?」
手をキュッと握る。HiMERUはんは小さなお願い事にも弱い。わしが相手やと特に。
「んふっ……くくっ」
「HiMERUはん?」
突然笑い出すので、心配になって手を緩めると、HiMERUはんはボスッとベッドに倒れ込んだ。わしを巻き添えにして。
「桜河」
「なに? どしたん?」
「キスだけじゃないんでしょう?」
「へ?」
HiMERUはんはなおクスクスと笑いながら、わしの両頬を片手で掴んだ。
「当たってましたよ」
「えっ? あっ、ん!」
いつの間にかしっかり反応してしまっていたちんちんを、HiMERUはんが空いた手で撫で上げる。
「で? キスだけでいいんですね?」
「よ、よくない……けど、良ぇの?」
「まあ……どうせこうなると思って、準備はしておいたのです。それに、朝は起こしてくれるんでしょう?」
「おん! 7時で良ぇ?」
「それは早すぎなのです」
スマホを手繰り寄せ、言われた通りの時間にアラームをセットする。ついでにコードを突き刺して、枕元に放った。これでちゃんと朝起きられる。
「ほな、ちゅーしても良ぇ?」
「どうぞ。本当、桜河はおねだりが上手ですね」
覆いかぶさりながら尋ねると、HiMERUはんは困ったように笑った。やわらかく何度もくちびるを合わせる。いつもイヤーカフに覆われているあたりをカリカリ引っ掻くと、身体がびくりと小さく跳ねた。
「ぬしはんにだけやよ」
内緒話をするように、敏感な耳に囁く。HiMERUはんはシーツを掴んで膝を擦り合わせ、小さなうめき声をあげた。それから、軽く噛んだ下くちびるを解放して「そんなわけないでしょう。知っていますよ」と破顔した。
※コメントは最大5000文字、5回まで送信できます