▼こはく
大事な用やろに、遅れたら大変や。そう思ったから早々にHiMERUはんを送り出したものの、1人残されてしまった病室の居心地悪さは否めない。正直、院内を駆け回るポケットの中となかなか良い勝負をしていると思う。あっちの方がまだマシかもしれない。
本来ならHiMERUはんが誰も近づけたくない場所にいるんだろうなと思うと、連れてきたのはHiMERUはんだとしても、なんとなく悪いことをしているような気になる。かといって他にどうすることもできないので、大人しくここでできることを探してみるほかないが。
見つけやすいようにとオブラートに包んではいたものの、詮索してくれるなと言われているのは分かっていた。あんな申し訳なさそうな顔してわざわざ口にしなくても、HiMERUはんが隠したがっているものを無理矢理暴いて傷つけたいなんて思わないのに。
失礼なと思う一方、ここがどこか気付いた瞬間から好奇心がうずいてしまっているのは事実なので怒りようもない。HiMERUはんを気にして入り口の方を向いて座っていたけれど、ちらちらと視線が背後に流れそうになっては首を振っていた。
HiMERUはんのことをもっと知りたいとずっと願っていた。春先のごたごたがあってからは特に強く。いつも大人びていて優しいHiMERUはんの「変」がなんなのか、何故本物の弟はんがいるのにわしと家族ごっこなんてしたかったのか知りたかった。
わしが倒れて運ばれたときと同じつくりなんかな。だとすると、奥の空間にベッドや窓、椅子なんかがあるはず。入り口を警戒しつつ、ちょっと身を乗り出して見てみると、おびただしい数のグッズに圧倒される。
Crazy:Bの衣装を着たHiMERUはんが写っているそれらは全て、同じようにしてわしの分も作られている。そう思うと、今までの頑張りが可視化されているような気になれた。これ、こんな感じで部屋いっぱいに飾ってあるんやろか。壁で遮られているけれど、奥の空間までずっとポスターやぬいぐるみで埋め尽くされているのかもしれない。想像すると、たまらなくわくわくした。
膨れ上がった好奇心となけなしの道徳心がぎったんばっこんと秤を揺らす。HiMERUはんには悪いけどちょっとだけ、ちらっとだけ部屋の全容を見てみたい。
弟はんには絶対に近づかんからな。この隣の戸棚の上までしか行かんし、すぐ戻るから。今日見たことは誰にも言わんって約束するから――心の中でHiMERUはんに誓って、洗面台のしきりに抱きつき、木登りの要領でよじ登る。最後はなんとか足だけで踏ん張って、戸棚に腕をかけ、ぐぐっと身体を持ち上げた。
身体が縮んでからというもの、ありとあらゆる場面でやたら懸垂をしている。こうやって段差をよじ登るときも、HiMERUはんのポケットから顔を出すときも、腕を使って身体を持ち上げるしかない。HiMERUはんの方で何か成果があるといいが、もし明日になっても戻れなかったら筋肉痛の腕を酷使する羽目になってしまう。
戸棚に上がったはいいけれど、やはり壁が邪魔で、奥の空間は半分くらいしか見えない。
「なんや、だめか……」
呟きながら広がった視野を見渡して、ドキッとした。半分ほどしか見えてないとはいえ、ベッドがある。ここが誰のどんな部屋なのか分かっていたのに、いざ実物を目にすると心臓に冷や水をぶちまけられたような気になった。
あそこに寝ているのがHiMERUはんの宝物――そう思うと呼吸が浅くなって、鼓動がいやに大きく聞こえる気がした。足がひとりでに動いて、隅に置かれた麻布製のかごを這い上がる。顔を上げると、胸もとに置かれた白い、ほっそりとした手が見えた。
あと少し、ほんの少しだけ。かごに積まれたタオルに乗って、反対岸までそろそろと歩く。1歩進むごとに足もとが柔らかく沈み込んでふんわり、HiMERUはんと同じ優しい匂いが立ち上る。
タオルなんて清潔ならなんでもいい。寮生活が始まったころ、そう思って適当に洗っていたらすぐにガサガサのバリバリになってしまった。わしを見かねて柔軟剤の使い方を教えてくれたのはHiMERUはんで、だからきっと、このふわふわのタオルを洗っているのはHiMERUはんなんだろう。1枚1枚丁寧に畳んでかごに仕舞う姿が目に浮かぶような気がする。
そう思ったら俄然、好奇心にかすんで見えなくなっていた罪悪感がぽこぽこ蘇ってきて、慌てて引き返す。洗面台まで戻ってきて腰を下ろすと、後から後から後悔が湧いてきた。
引き返す前の数秒、奥の空間が見えた。壁いっぱい、所狭しと飾られたポスターや綺麗に並べられたぬいぐるみ類は思っていた通り圧巻だったけれど、それよりも強く焼き付いた感情があった。どういうわけだか分からない。けれど、安全に居心地良くと整えられた病室がどこか、座敷牢に似ていると思った。
レースのカーテンで調節された陽光か、狭い室内にきっちり収まっている最低限の家具か、はたまたその中で眠る人物か、何を見て感じたのかは定かではない。この部屋一つで世界が完結しているような感じがした。なんとなく懐かしいような、落ち着くような、でもどうしようもなく息苦しいような、変な気持ちが込み上げた。
ちらっとだけ見た寝顔は、HiMERUはんにとてもよく似ていた。双子のひなたはん、ゆうたはんほど似ているわけではないだろうが、燐音はんと一彩はんの兄弟とは比べものにならないほど似て見える。いくらか痩せてはいたけれど、HiMERUはんに弟がいることを知らずに見てもきっと、一目で弟だと分かるだろうと思った。
あれが、わしと重ねて見ていたっちいう弟はんか――春先にこの病院やナギゴンの洞窟で聞いた話を思い出してしみじみ、やっぱりよく分からんなと思う。こんなに似ている弟が、こんなに大切にしている弟がいて、なんでわしなんかに〝おままごと〟を求める必要があったんや。
しげしげと洗面台の鏡と向き合って、首をひねる。顔がどうとかそんな問題じゃないのは分かっている。もしかしたらわしがHiMERUはんの弟のことを知らないだけで、振る舞いや性格、年の差、どこかしら似通っている部分はあるのかもしれない。でも、目の前に映っているのは桜河こはくでしかないのに。
HiMERUはんは正直に話して謝ってくれた。燐音はんたちに聞くと、わしが倒れてけっこう堪えていたらしい。たぶんもう同じことはしないだろう。だから水に流してしまったし、あれからもHiMERUはんは変わらずわしには優しい。でも、あのとき拭いきれなかった寂しさが今も心のどこかには残っている。
なんだかんだ言ったって、わしもこましかの撮影は楽しくやっていた。2人で買い物をしたりご飯を作ったり、日常の延長戦上にあるみたいな、今考えても本当に何故あんなに流行ったのかよく分からない番組だった。
HiMERUはんもわしとの「同居生活」を純粋に楽しんでいたとは言っていた。でも、あれがわしとHiMERUはんだけのものではなかったと知ってしまったら、どうしたって残念な気持ちにはなった。わしとHiMERUはんがさんざん悩んで振り回され、スタッフの人らと力を合わせてつくっていると思っていたのに、実は見も知らぬ弟はんが間に挟まっていたらしい。
あれから半年ほど経つけれど、HiMERUはんを取り巻く状況は変わらないんだろうか。そんなにすぐ治るような病状なら、そもそもHiMERUはんはHiMERUはんではないのかもしれない。遠目に、ましてこんな小さな目でちらっと見てちゃんとしたことが分かるはずはないにしても、HiMERUはんの弟は息をしているのか心配になるほど静かに、深く深く眠っているようだった。
「なるべくで良ぇから、早よ元気になったってや」
仕事して病院通って洗濯して、HiMERUはんが大変や。だいたいなんでHiMERUはんが1人で背負い込んどるんかも分からん。親が亡くなったなんて話はどこからも聞いてないけど、生きとるならいったいどこで何しとるんや。
壁に阻まれて姿も見えないのにぽつり呼びかけてみた声が、まるで不貞腐れているみたいに響いたので、自分でちょっとびっくりした。
実際、不貞腐れている部分もあるのかもしれない。HiMERUはんは、一時的にでも燐音はんやニキはんには弟を重ねるなんてことはしていないだろう。兄弟として、家族としての生活をHiMERUはんがあの2人に求めるなんて、想像しただけで薄気味悪い。
わしにだけ弟を重ねて見ていたんだとしたら、それはわしが特別近くにいることの証にもなるだろうが、同時にわしだけが弟を介して遠くにいることにもなるだろう。それが歯がゆくてたまらない。
早く起きて、元気になって、あのワンルームから出て行ってほしい。辿り着いた本音が、まるでHiMERUはんの弟に嫉妬でもしているみたいで意外だった。本物の弟が元気になったら、HiMERUはんの願い通り家族として一緒に暮らせるようになったら、出て行くのはどう考えても他人のわしの方だろうに。
顔が熱くて、鏡に頬を押しつける。慣れないことを考えたせいで頭がショートしてしまったらしい。
弟と重ねて見るのはやめると言ったHiMERUはんにとって、わしはどういう存在なのか分からない。でもそれ以上に、わしにとってHiMERUはんがどういう存在なのか分からなくなっていることに今、初めて思い当たった。
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