▼こはく
旧館の一室で4人、ニキはんの料理を囲んでいる。もっともわしはまだHiMERUはんのポケットにいて、ある程度ニキはんのお腹が満たされるのを待っている状態。万が一見つかって食われてしまっても出てこられるように、HiMERUはんに持たされたヘアピンをひっしと抱いて息を潜めている。
「んで、こはくちゃんはよ?」
「僕のお腹が落ち着いてから話すって言ってたっすよね。でも満腹になるまで待ってたら、こはくちゃんのご飯までなくなっちゃうっす」
そらそうやろなと思って笑いそうになるのをぐっと堪える。いつもはこの会話に混ざっているのに、1歩引いて聞いているととんでもなく間抜けていて、妙に面白いような気がする。
「大丈夫ですよ、桜河はうどん1本の半分あれば足ります」
「えっ、どういう仕打ち?」
「それで、どうなんです。少なくとももう空腹ではないんですね?」
「そっすね。HiMERUくんが心配してた、我を忘れて何でも口に入れちゃうなんてこたあないくらいには食べたっす」
「つぅか、メルメルはさっきからずっと何の確認をしてンだよ。ニキに食われそうなサイズの珍獣でも拾ったかァ?」
どう考えてもHiMERUはんを茶化して言っていることなのに、ずばり真実を言い当てていて驚かされる。つくづく敵には回したくない人間だと思う。わしがこんなことになっているなんてまさか気付いてはいないだろうが、燐音はんの勘の鋭さはその辺の野生動物の比じゃない。
「残念ながら当たらずとも遠からず、といった感じなのですが。いいですか、答えを明かす前に一つだけ誓ってください。何がどう間違っても絶対に、掠って売るなんてことはしないでくださいね。椎名も、注意して見張っておいてください」
「僕が止めたところで聞いてくれると思うんすか?」
「思いませんけど。いいですか、われわれは真剣に困っているのです」
こうも前振りが長いと、かえって姿を現しにくくなっている気がする。もう良ぇから、そろそろ本題に入ってという合図のつもりでちょんと、HiMERUはんの胸をピンで突く。
「では天城も椎名も正座して、手を頭の後ろで組んでください。HiMERUが良いと言うまで動かないように」
ぴらっと開かれたポケットにLEDの灯りが差し込んで、心配そうなHiMERUはんの顔が覗く。大食らいとギャンブル狂い。そう考えると確かに両者とも危険極まりない存在ではあるけれど、いくらなんでもわしを取って食ったり、売って競馬の元手にしたりはしないと信じたい。
こくりと頷いて、差し出された手のひらにのる。そっと座卓に下ろされると、部屋は異様な沈黙で満たされた。
「その、なんと言っていいものか分かりませんが、こちらが桜河です」
たっぷり30秒、一切の音が消えていた。HiMERUはんがおずおずと説明すると、ようやく2人が息を飲む音が聞こえる。
「えっとな、ほんまにどう説明していいか分からんけど、起きたらこんな姿になってしもてて」
テーブルの向こうの顔を見ようにも、唐揚げの山に遮られて見えない。机の上には大量のチャーハンやポテトサラダ、煮物、炒め物なんかが所狭しと並んでいて、嫌でもお腹が空いていることを思い出してしまう。
漂ういい匂いに当てられて胃が悲鳴を上げているのに、いつまで待っても2人とも反応がない。だんだん気もそぞろになってきて、食べられそうな料理をきょろきょろと探す。
ニキはんの唐揚げ、最近食べてなかったかも。チャーハンも食べたいけれど、この身体ではどちらかだけで満腹になってしまうやろか。うどんでもあんなに苦労したのに、鶏肉なんてまずこの口で噛むことができるのかすら心配になる。
どうやって唐揚げを食べようか作戦を練っていると、どっと地鳴りのような笑い声が響いた。あまりの勢いにすっ転びそうになってようやく、唐揚げごしに顔が見える。
「こはくちゃん、あんなに牛乳飲んでたのにどうしちまったンだよ」
声の主は当然、燐音はんだった。
「あっ、えっ、これ笑っていいやつなんすね? びっくりした―。本物みたいだから、僕ぁてっきりこはくちゃんが本当に小さくなっちゃったのかと思ったっす。もしかしてドッキリっすか?」
「いや、どう見ても本物だろ。くくっ、玩具みてェにかわいくなっちまってまあ、次の衣装はまたミツバチにするか?」
笑いすぎて涙を浮かべている燐音はんを睨め付けても、全く威力がなさそうで腹立たしい。いっそ食ってくれたら胃の中で大暴れしてやるのに。
「天城、これが笑っている場合ですか」
燐音はんはわしが本当に小さくなってしまったと分かったうえで呑気に笑っていて、ニキはんは全く話に付いてこられないらしい。付いてくる気もいまいちないのかもしれないが。HiMERUはんに良いと言うまで動くなと念押しされていたのに、全部忘れたみたいに箸を取って、大皿ごとチャーハンをかき込み始めてしまった。
「椎名、椎名。気持ちは分かりますが現実逃避はやめてください。これからどうしたらいいのか、あなたも一緒に考えるんですよ」
「僕が考えて分かることなら、HiMERUくんにはとっくに解けてるはずっす。なんでこはくちゃんがこんな、圧力鍋で煮た白菜みたいな大きさになっちゃってるのか」
「漫画じゃあるまいし、人間がいきなり手のひらサイズに縮むだなんて現象、HiMERUの頭脳を持ってしても分かるはずがないでしょう」
右を向けばHiMERUはんとニキはんが言い争っていて、左を見れば燐音はんが床をのたうち回っている。もう大人しく座ってもいられないらしい。腹を抱えて転げ回る燐音はんに、いつの間に平静を取り戻したのかHiMERUはんとニキはんが冷ややかな視線を浴びせている。
「ヒャーッヒャッヒャ、あー面白ェ。なんだ、こんなことになってるならもっと早くに連絡して来いっつーんだよ」
「いえ、このタイミングでも早すぎたくらいだったと後悔しているところです」
「そやね。初めに相談したんがぬしはんみたいな畜生やなくて、HiMERUはんで大正解やったわ」
HiMERUはんがわしの提案を受け入れて、こんな人でなしに預けていたら今ごろ、きっととんでもない目に遭っていた。想像しただけで身震いがする。
「んで、心当たりは?」
総スカンを食らって流石に居心地が悪いのか、笑いを噛み殺している顔で燐音はんが尋ねる。
「あるわけないやろ。現実に人間の身体が縮むなんて話、聞いたことすらあらへんわ」
「ちっちゃくても元気っすねー、こはくちゃんは」
他人事にしても、あまりにも他人事みたいな調子でニキはんが呟くので、あまりの平和さに力が抜けてしまう。とりあえず本当にわしが小さくなってしまったことは分かったらしい。
「なあニキはん、わしもお腹空いたわ。この口の大きさでも食べられそうなもの、何か適当に見繕ってくれん?」
「うん。考えるのは苦手っすけど、そういうことなら僕に任せてほしいっす」
軽く袖を捲り、料理人の顔になって黙々と唐揚げを刻み始めたニキはんの隣で、燐音はんが窓際から取ってきたビールの缶を開ける。
「ちょっと天城、今日は飲むなと言ったでしょう」
「大事な話があるから飲むなってンだろ? じゃあもういいっしょ」
「いえ話は全く済んでいないのです。明日のレッスンはひとまず桜河が熱でも出したことにするとして、その先はどうするつもりなのです。決まっている仕事は? 事務所にはなんと説明するつもりなんです」
般若のようになったHiMERUはんの前でまだへらへら笑えるあたり、燐音はんは本当にどうかしていると思う。というか仮にも大事なユニットメンバーのはずのわしがこんなことになっているというのに、発覚してから数分間、爆笑しかしていない。
「そうカリカリしたって事態は変わんねーよ、落ち着けって」
「この状況で落ち着いて笑っていられる天城がどうかしているのです」
「そっすよ。僕は訳が分からなさすぎてかえって落ち着いちゃってるっすけど、こはくちゃんが大変な目に遭ってるのに真剣に取り合わないなんて最悪っす」
ニキはんは、考える気はないなりにわしのことを心配してくれているらしい。燐音はんの方を冷たい目でじとっと見ると、わしの前に皿を置いてくれた。細かく割いた唐揚げが、具のないところを狙ってすくったらしいチャーハンと一緒に盛られている。
「おおきにな」
燐音はんの相手をするには頭を使う。とりあえず腹ごしらえしようと合掌し、素手で掴んだ米粒を口に含む。ごま油と醤油が香ばしいのに、あまりベタベタしていなくて掴みやすい。身体が小さくなってもニキはんの料理は変わらず美味しくて、なんとなくほっとした――いや、素うどんも美味しかったけど。
燐音はんは米粒にかぶりつくわしを見て、ハムスターみたいだと転げ回っている。元のサイズに戻れたら覚えとけよと腹に決め、視線を逸らすとHiMERUはんも優しい顔をしてこちらを見ているのに気がついた。目が合うと急に喉がつっかえたようになって、慌ててキャップに注いでもらったお茶を飲む。
「で、そこまで余裕をかましていられる理由はなんです。次適当なことをほざいたらどうなるか、肝に銘じてから答えなさい」
「どうなっちまうのか気になるところではあるけど、このくだりも飽きてきたから答えてやるよ。まーなんつうか、あれだ、故郷だよ」
「故郷って、天城村か?」
やっぱりなんとかできるんか。燐音はんに白い目を向けていた3人が一斉に腰を浮かして覗き込む。地の底までお株が落ちていたリーダーは、熱い視線を払うみたいにへらっと笑って、もったいぶるようにビールに口をつける。
「言ったろ、科学力だけならてめェらより進んでるって。とは言ってもしきたりだのなんだのと面倒くせェから、あくまでもそれは最終手段だ。とりあえずこはくちゃん自身でできることは全部やってみせろよ」
「全部? お医者はんもそんな現象はないっち言うとるのに、ぬしはんは解決法を複数知っとるっちことか?」
また適当なことを言いよってから、天城村なら元に戻せるっちゅうのもぬか喜びさせるわけじゃないやろな。わずか数分で酔っ払うとは思えないけれど、こうもへらへらしているとどうにも信用ならない。また3人でしらーっと見ていると、燐音はんは居心地悪そうに頭を掻いて、唐揚げを口に放り込んだ。
「人間が小さくなるなんてのは、物語ではままある展開っしょ。現にPBBが大流行したときに俺っちが読んだ同人誌だけでも2、いや3作はあったぜ。何の因果か知らねェが、どれも縮んだのはこはくちゃんだったし、所詮フィクションと斬り捨てちまうのも致し方ないだろうが、いろいろ試してみればどれかは正解かもしれねェだろ?」
大真面目に言い切って、あの劇物がまだ部屋にあるはずだとかぬかす。HiMERUはんと揃ってあんなに口酸っぱく処分しろと言ったのに、まるで人の話なんて聞きやしない。
燐音はんに期待したわしが愚かやった。春先の騒動の中で終始ニヤニヤと、わしらの悩みの種をかき集めて読んでいたこいつに期待なんてする方が阿呆やったわ。だいたい、PBBやらこましかが流行った理由をこっちは未だに飲み込めていないというのに。
盛大にため息をついて、油分でぬるぬるになった両腕をおしぼりで拭く。脱いでから食べるのもどうかと思ったので、腕まくりをするしかなかった。そのせいで、せっかくHiMERUはんが調達してきてくれた一張羅から、服に対する褒め言葉としては相応しくないタイプのいい匂いが漂っている。
「いろいろって、例えばどんな戻り方があったんすか?」
四面楚歌の燐音はんが気の毒で聞いてやっただけで、たいして興味はないらしい。話を広げたニキはんがポテトサラダの大皿を抱え、平らげるのを横目に見ながらお茶を啜る。
「どんなって、だいたいは想像つくっしょ。古今東西、魔法が解けるときってのは日付が変わるか、掛けた願いに決着がつくか、キスするかの3パターンしかねェんだよ」
にたーっと笑いながら燐音はんがふざけたことをぬかすので、お茶が変なところに入ってしまった。
「けほっ……えほっ、んんっ、んぐ……はあ、どうしようもない阿呆やとは常々思っとったけど、まさかここまでとはな」
「本当に。この期に及んでまだ軽口を叩くとは神経を疑うのです。言うに事欠いてキスだなんだと、われわれはアイドルなのですよ」
「キャハハ、信じる信じないはてめェらに任せるけどよ。ただ、俺っちが読んだ同人誌のこはくちゃんは全部メルメルからの熱いキッスで元の姿に戻ってたぜ」
「はー、ほんまにぬしはんは人の神経逆なでせずにはおられんのか。その同人誌っちやつがそれで戻ったからって、はい分かりましたっち言うてわしとHiMERUはんがちゅーするわけないやろ。まさかとは思うけど、もう1回PBBをネタにわしらをおちょくって遊ぶために燐音はんがわしをこんな姿にしたんと違うやろな」
元に戻る算段があるとは言うが、それが確実だとは限らない。HiMERUはんに怖くないと言ったのは嘘ではないにしろ、少なからずある不安がいたずらにくすぐられて、流石にイライラしてきてしまった。ほんまに口の中に飛び込んで胃の中突き回してやろうかな。冷めた目でじーっと黙って見てやると、暴君は意外にもまっすぐ、顎を引いて見返してきた。どうやら本心で言っていたらしい。
「こはくちゃんを小さくしたところで、俺っちには何の旨味もねェよ。もしそんなもんを意のままに使えるなら、狙う獲物は他にいくらでもいるだろ」
「まあ、それはそうやけど。それにしてもHiMERUはんとちゅーしろっちのはいくら何でも横暴やろ。だいたい、いつやったかぬしはん自身が結婚してからとかほざいとったやろが」
「そっすよ、僕も忘れてないっす。いつまでも馬鹿なこと言ってないで、さっさと天城村に連絡入れてあげたらどうなんすか」
「ええ、珍しく椎名の言う通りなのです。今さらになって本当はできないなんて言ったら承知しませんよ」
まくし立てるように3人に責め立てられて、多少は悪いことをしたと思っているらしい。燐音はんはあーあーうるせえとヘアバンドを外して、どさっとふて寝を始めてしまった。
「ちょっと、食べてすぐに寝ると牛になるっすよ」
「放っておきましょう、椎名。牛にでもなれば天城にも桜河の気持ちが分かるかもしれません」
「あーもう、しょうがねェな。明日になっても治ってなかったら、故郷に連絡でも蛇ちゃんに土下座でもなんでもしてやるって言ってンだろ」
「いや初耳やけど、頼むで」
ごちゃごちゃと喋っている間に、山ほどあった大皿料理はつるっと綺麗になくなっている。シナモンから借りてきた皿を洗って返さないといけないとかで、ニキはんとHiMERUはんが手際よく脇取りに皿を片付けていく。
わしはといえば、ペコッと潰されたビールの缶をぼんやりと見ながら、燐音はんの言葉を反芻していた。どうせこの身体では、手伝おうとしてもかえって邪魔になってしまう。
ちらっとHiMERUはんの方を見上げると、唐揚げかチャーハンの油で濡れたくちびるが、つややかに光っていた。
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