どんぐりころころ

 捨てるには忍びない、ただそれだけのはずだった。チェストに仕舞いこんだまま、一度も取り出していないプレゼント――引き出しを開けるたび、規則正しく弧を描く秋の欠片は、HiMERUにとっては取るに足らないものだった。

 ベッド脇のチェストの上段には、レターセットや筆記具が雑多に収納されている。一見整っているが、元来掃除は好まない。放っておけば2週間と経たず無法地帯と化してしまう。体裁を保つために入れた仕切りは微妙にサイズが合っておらず、わずかにデッドスペースができていた。

 そこにどんぐりが転がったのは秋のこと。Crazy:Bで芋掘りロケに行った日の晩だった。

 休憩中、椎名と山に入った桜河がポケットをぱんぱんに膨らませて戻ってきた。慣れない様子で長靴をがぽっと脱ぎ捨て、拾って揃えたあと、ブルーシートに収穫物を並べてふふんと得意げに笑った。

「綺麗やろ?」

 どんぐりやシイの実に混ざった落ち葉を取り除くと、桜河は商人よろしく、ぱっと両手を差し出した。芋掘り中は軍手を履いていたのに、手のひらにはところどころ土が付いていた。ポケットの惨状を思うと頭を抱えたくもなったが、服を洗うのは桜河自身、砂を噛むのは彼らの部屋の洗濯機なのだから、この際気にしないことにした。

「さ、どれがええ?」

「はい、はい。僕この大きいのがいいっす」

 どんぐりまで食べるつもりなのか、遅れて戻った椎名は桜河に詰め寄って調理法を挙げ連ねた。眉唾だが、シイの実は生でもいけるらしい。

「ニキはんは食用やろ、後にしぃや」

 あっちにおにぎりあるで。椎名の熱視線をひょいといなすと、桜河は選びやすいようにと俺の前に上物をピックアップしてくれた。HiMERUは結構です、とはとても言い出せない厚い厚意に苦笑して、目の前のどんぐりを手に取った。

「おっ、こはくちゃんはどんぐり屋さんかァ? かーわい、繁盛してンの?」

 打ち合わせを済ませた天城にわしわし頭を撫でられた桜河は、お返しとばかりに尻を殴りつけると、鼻息荒く腕を組んだ。

「うっさい、燐音はんにはやらん!」

「えー、僕には?」

「HiMERUはんとわしが選んだあとで全部あげるっち言うたやろ」

 ニタニタした視線とじとっとした視線を浴びて、ふいと横を見ると、桜河の目がらんらんと輝いていた。

「ではHiMERUからいただきますが……ふむ、どれがいいでしょうか」

 桜河のおすすめを見比べてみても、正直なところ、まるで違いが分からなかった。形や大きさの差はあれど、桜河の考える良し悪しの基準は検討もつかない。どれでもいいとはいえ、あまり適当なものを選んで桜河に失望されることは避けたかった。

 悩んでいるうちに撮影の再開が早まって、結局、桜河が差し出してくれたものを素直に受け取ることにした。ん、と手のひらに置かれたのはまん丸いクヌギと、小粒だがつやの良いコナラの二つだった。

「どんぐり屋さん、こちらはおいくらでしょうか?」

 怒られるかもしれないと思いつつ、「どんぐり屋さん」の響きがあまりにもかわいかったので、尋ねずにはいられなかった。隣を窺い見ると、桜河は頬に拳を当てて少し考えてからにんまり、いたずらっぽく笑った。

「お代はええよ。ぬしはんにだけ、特別サービスっちことにしといたるわ」

 夕日に照らされた木の実は、覗き込む桜河の目の中できらきらと光って、たしかにちょっとした宝石のようだった。ポケットに仕舞おうと握ればころんと転がって、手の中でカツンと小気味いい音が響いた。

 そのまま、部屋まで持ち帰ってしまったどんぐりをどうすることもできず、悩んだ末に引き出しへ仕舞った。虫が付いているかもしれないという疑念はまず過ったが、今さら捨てられるはずはなかった。桜河にとっては宝物らしいから、いつかトークで使えるかもしれないからと、いろいろな理由を付けては目を瞑った。

 なのに1週間が過ぎ、2週間が過ぎ、やがて冬と呼べる気候になって、すっかり安心してしまっていたらしい。正しく恐れていたはずの事態なのに、咄嗟に「やはり」と思うことはできなかった。

 かじかむ手で引き出しを開けると、二つのどんぐりは不規則な線をゆったりと描いた。違和感に目を向けるが早いか、さっと血の気が引くのが分かった。艶やかな殻を穿つ穴に吸い込まれるように意識が遠のく。込み上げてくる「なぜ」と「どうして」で頭の奥が冷たくなる。

 それでいてどこか冷静な頭が原因を究明して、対処法を考えている。正月向けの撮り溜めが落ち着いたのか、このごろは誰かしら部屋にいることが多かった。そしてまた、めっきり寒くなったので暖房を入れるのが当たり前になっていた。部屋が暖かかったせいで、召されかけていたハイイロチョッキリが元気を取り戻してしまったのかもしれない。

 木枠を蠢く幼虫をティッシュで包んでゴミ箱に捨てる。ちょっと考えてから、ティッシュを開いて窓から捨てた。万が一にも這い出してきて目撃してしまっては、南雲はともかく鳴上さんが可哀想だ。かといって潰すのは想像だけでも気持ち悪く、寝覚めも悪い。

 身震いして、カーテンを閉める。どんぐりを取り出してみると、記憶の中よりずっと軽く感じた。幼虫が中身を食べてしまったのだから当然と言えば当然だが、手のひらに乗せてみると新鮮な驚きと、言い知れない寂しさが込み上げてきた。

 引き出しの隅をころころ転がるどんぐりは、急いでいるときなどは邪魔くさく感じることもあった。虫が潜んでいるかもしれないと疑っているうちは軽い忌避感さえあった。けれど桜河の誇らしげな顔を思い出せば愛しく、そうでなくても丸いフォルムや色、つやにかわいらしさを感じることもあった。いずれにしても、開けるたびに気を引かれていたのはたしかだった。

 まあるいクヌギを摘まんで振ると、カラカラと乾いた音が鳴る。その静かな音が妙に響いて、ふと冬のにおいを感じた気がした。閉めたはずの窓を顧みて、上着を羽織る。がらんと空いた胸に冷たい風がひゅうと吹く。

 潜んでいるのは1匹とは限らず、このまま置いておいても朽ちてしまうのが関の山。そもそも桜河自身がしばらく楽しんだのち、とっくに手放してしまっているだろう。いつまでもこんなものを取っておくなんて、HiMERUの柄ではなかった。

 捨てる理由ができてしまったどんぐりを、重ねたティッシュにそっと包む。それでもゴミ箱に放り込むことはどうしてもできない。

 引き出しを開ける。たった二つのどんぐりがなくなっただけで、どうして空っぽになったように感じるんだろう。

 どうしてもくそもない。あの日は「俺」の誕生日だった。人知れず20歳になった俺が手にした、たった二つのプレゼント。どれだけ深く慎重に隠していても、人は無にはなれない。HiMERUにとっては取るに足らないガラクタでも、俺にとってはかけがえのない宝石だった。

「ぬしはんに一番綺麗なのをあげるな」

 胸元でそっとティッシュを握りしめる。いつもいつも、大切なものが傷ついてからしか気付けない。俺が初めからまっすぐ見つめていれば、愛していれば、こんなことにはならなかったに違いないのに。

 虫に食われたどんぐりが発芽することはまずない。分かっているのに、明日着るコートのポケットにティッシュを入れている自分がいる。ガーデニアの人に頼んで、温室の隅にでも置かせてもらえば――信じて待てば、きっと。

 引き出しを閉めて、ぐっと口角を持ち上げる。一つ深呼吸。それからにこっと微笑んだ。

「南雲? 開けますよ。寒かったでしょう」

 扉の外でごそごそ、鍵を探す気配がしている。

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