砂糖も焦げれば大人の味

 「こ」に丸印の紙袋は夕方放り込んだまま、冷蔵庫の中段に鎮座していた。食べられてしもてもよかったのに。そう思うわりにはっきり印をつけてある。太めのペンから滲み出る諦めの悪さに情けないやら、恥ずかしいやらで額を擦る。

 小洒落た英字の袋にはプリンが二つ入っている。鳥の巣みたいな紙で巻かれた細長い瓶に別添えのカラメル。スプーンは付いとらんのかい。口の中でぼやいて立ち上がる。今日はそういう日なのかもしれない。

 昨日からプリンの口だった。きっかけは他でもない、休憩中、HiMERUはんが見せてくれたALKALOIDの新CM。いったい誰がやろうっち言うて請け負ったんか聞きたいような、聞かんでも分かるような――わしの大して多くもない語彙で精一杯褒めるなら、独創的な雰囲気。

 ぷっぷる、ぷるぷる、ぷりんぷりん。巨大なプリンの前でかっこよく踊る4人、珍妙な節と歌詞が癖になって、つい何度も繰り返して見てしまった。おかげで寝て起きても気付けばぷりんぷりん口ずさんでいる始末。もうプリンを食べないことには収まらないと、帰りしな駅前のビルに立ち寄った。

 ちょうど先日、催事場に来ているお店が美味しいらしいと聞いたところだった。思い出して行ってみると、なるほど、目当ての区画のガラスケースにはちょっとした列ができていた。並び立つのぼり旗に、知らない賞の名前。どれ一つとして知らないまでも、強気な値段設定からして腕に自信があることだけは分かった。

 しかも見た感じ、HiMERUはんが好きなとろとろの方。そう思ったら、誘う前から二つ包んでもらっていた。

 HiMERUはんはここの食べたことあるやろかとか、あの妙ちくりんな歌でHiMERUはんもプリンの口なんとちゃうかなとか、そやったらいつもよりも喜んでくれるやろかとか、期待が膨らめば膨らむほど歩幅も広がる。中身がぐちゃぐちゃにならないよう、途中袋を通学カバンに押し込んで、駆けそうになる点滅信号をいくつも見送った。

 ホールハンズを見る限り、1日お休みのHiMERUはんは午後はシナモンにいるらしかった。コーヒーを飲みながら文庫本を捲る姿を想像するだけで心臓がきゅっと鳴る。ほとんど毎日いいほど一緒にいて、それでも早く会いたい。PBBのときは本当に息ができなくなったのに、恋っちいうのはよく分からん。

 勢い勇んで入ったシナモンはがらがらで、暇そうなニキはんが奥のソファーに座っていた。入っていくとHiMERUはんは柱の陰にいて、遠目にも2人が楽しそうにしているのが分かった。

 HiMERUはんとニキはんはたまに、わしと燐音はんには分からん話題で盛り上がる。見たことも聞いたこともないキャラクターがどうとか、「算数セット」がどうとか、断片的に聞いてもさっぱりピンと来ないわしらには入っていきようもない世界。

 だから何ということもないはずなのに、急に暑さを思い出したみたいに足取りが重くなった。鏡合わせみたいに頬杖を突いた2人の前には真っ黒いコーヒーのカップ。それからずっしりとしたプリンが置かれていた。

 ぷりん、ぷりん。夕方までは病みついて離れなかった歌が思い出せない。瓶の蓋を取って、カラメルの小袋を破る。

 走ったせいで表面の膜が裂け、蓋の裏にまででろんとしたカスタードが及んでいる。部屋に誰も居ないのをいいことに、スプーンでこそげ取って舐める。Crazy:Bにいると可食部を残す方が罪だと思うが、家では咎められていた。

 カラメルの使い方が分からず、ちびちび継ぎ足すのも面倒で、一息にどばっとぶちまける。溢れそうなソースにスプーンを沈めてすくい取ると、持ち上げたそばからとぽとぽ垂れた。

 本当はむちっとしたプリンが好きなのに、飲んだ方が早そうなプリンを慎重に口へと運ぶ。まったりと甘いカスタードと混ざり合う、照り焦げた大人の味。カラメルといえば甘いものだと思っていたのに、じゅんわり広がる香ばしさに視界が傾く。

 美味しくなくはない。でも初めて食べる味だった。1人でスプーンをくわえていると、振り切ろうとしていた暗い気持ちが苦味と一緒に蘇る。

 HiMERUはんやったら、ニキはんやったら「美味しい」っち言うやろか。そしたらわしも美味しいと思うやろか。

 あのとき、わしに気付いたHiMERUはんはおかえりなさいと言いながら1人分奥へ詰めてくれていた。ニキはんはすぐにわしの分も用意すると言ってくれた。なのに、断って帰って来てしまった。終業式から帰って来たところなのに、宿題があるとか無茶苦茶な言い訳をして。

 わしのプリンも食べたらよかった、二つしかなくたって3人で。なんなら四つ買ってきて、燐音はんも呼んで食べたらよかった。そしたら楽しかったのに、なんでもないことができなかった。

 HiMERUはんと出かけた日、口を突いて出かかった大事な言葉を呑み込んだ。あれからずっと、ちっと、わしはおかしい。言えなかった「すき」が喉につっかえて腫れ上がっているのかもしれない。お子ちゃまだった時分、魚の骨が刺さったときみたいに。

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