企みの行方

 良ぇなっち思った。許された距離が、関係が、素直にうらやましかった。

 こないだの外ロケはえらい寒い日で、たしか最低気温を更新したとか言っていた。そんな日でも手袋をして来なかった燐音はんは、休憩のたびに寒い、冷たい、手が痛いと大騒ぎしていた。

 あほやなっち思って横目で見ていると、あいつはわしも驚く鮮やかさでニキはんの背後をとった……かと思えば、真っ赤になった手を首もとに突っ込んだ。見とるだけのわしでさえ寒くて、思わず縮み上がった。なのに、ニキはんは怒らなかった。聞いたことのない種類の悲鳴をあげ、恨み言を言い募ってはいたけど、数分後には、燐音はんの手はニキはんの上着のポケットに収まっていた。ポケットは燐音はんの上着にも付いとったのに。

 ニキはんの肩口に顎を乗せて、引きずられるようにして歩く燐音はんがうらやましかった。重たい「荷物」を気に留めず、身体の一部みたいな顔してお菓子をもらいに突き進む、ニキはんも少しうらやましかった。わしには見えない何かで結ばれた二人。その何かがあれば、わしはHiMERUはんともっと……もっと、何やろ。

 つい考えてしまう。もし、わしが手袋を忘れて手が冷たいっち騒いだら、HiMERUはんはどうするやろ。いや、どうもせんやろ……脊椎反射で否定して、でも、ちょっと考えてみるくらいは良ぇやろと開き直る。

 HiMERUはんはきっと、あんなふうにべったりくっつくことを許してはくれない。一歩踏み込むと、話に夢中になっている間に一歩離れていて、決まった距離感を崩さない。けど、HiMERUはんは世話焼きなところがあるからーーふと、べつの光景を思い出す。ラブはんが、一彩はんと握手するみたいにして暖をとっているのを見たことがある。

 あり得ん。分かっているのに想像してしまった。期待してしまった。白くてほっそりしたHiMERUはんの手が、わしの手を包む温度、感触を。見上げた先の優しい眼差しを。

 計画とも呼べない幼稚な計画を企てた。細かく天気予報をチェックして、決行は火曜日に決めた。どうせなら例に倣って、とびきり寒い日、外ロケの日が良い。

 出がけに上着を羽織り、マフラーを巻いて、一度着けた手袋を外した。雨が降ったらやめようかと思っていたけれど、外は快晴で、最低気温はマイナス1度。あわよくば雪が降るでしょう、や。

 集合場所まで歩いて20分の道すがら、すでに良いほど後悔していた。正面から吹きつける北風は冷たいを通り越して痛く、歩を進めるたび、風切る指先がじんじんと痺れた。たまらずポケットに手を避難させて、鼻をすする。

 でも、いつまでもそうしているわけにはいかなかった。HiMERUはんに気付いてもらわなければ計画が破綻してしまうから。生きた人間の手とは思えないほど白く、カチカチに固まった手をぶら下げて歩き、わざとHiMERUはんの前で立ち止まって、何度も前髪を直した。

 カメラが回り始めてからは、いよいよポケットに手を突っ込んでいるわけにもいかず、剥き出しの手を寒風に晒し続けていた。

 徐々に指を曲げるのも難しく思えるほどに悴んで、休憩が告げられる頃には赤黒く染まった手にギョッとした。もう作戦なんてあほなこと言うとる場合かと、感覚のない手を必死で擦り合わせる。

「桜河」

 そんなわしに、HiMERUはんが近付いて来た。あ、もしかして。この期に及んで高鳴る胸を押さえつけて、企みがバレないように目を伏せるーーいや、本当はバレてしまってもよかった。自分を大切にしない計画を実行したことに気付いて、叱ってほしかった。

「手袋、忘れたんですか?」

「う、うん……」

「困りましたね、こんなにも寒い日に」

 細身の手袋に包まれたHiMERUはんの黒い手が、霜焼けで少し丸みを帯びたわしの手を掬い取った。ほとんど感覚を失った指でも、分厚い布越しにHiMERUはんの指の感触を感じる。心臓のあたりがモゾモゾして、言葉が出て来ない。

「はい、これ。使ってください」

 でも、次の瞬間、手は宙に漂っていた。代わりに握らされていたのはカイロ。

「HiMERUは手袋があるので、これは桜河が持っていてください」

 凍傷にでもなったら大変ですよ。優しく微笑まれて、鼻の奥がツンとした。愚かな謀は失敗に終わってしまった。恥ずかしくて、恥ずかしくて、さみしかった。

「おおきに……」

 顔を見られないようにペコッと頭を下げて、そのまま俯いていた。両手で握ったカイロは熱くて、溶けてゆく手指と心がむず痒かった。

「ちょっと! やめてってば!」

 ニキはんの悲鳴が聞こえて、顔を上げる。見ると、また燐音はんが素手で首筋に触れたらしかった。恥も外聞もなく辺りを駆け回って、ニキはんは結局、捕まえた燐音はんの両手を自分のポケットに突っ込んでやる。ぶつくさ文句を言いながら。

 わし、本当はわざと忘れてきたんよ。あんなふうに、ぬしはんと手をつなぎたかった。だから冷たいの我慢しとったんよ。

 呆れ顔で二人を見ているHiMERUはんに明かしたら、どう思うやろ。深呼吸して口を開く。握りしめたカイロが、手の中でカサッと鳴った。

「あのな、HiMERUはん……わしな」

 続きは言えなかった。撮影再開の号令にかき消されて。

「どうかしましたか?」

 カメラの前へ向かいながら、HiMERUはんが首を傾げる。全てを見透かしたような表情で。「ような」じゃない。きっと分かってて、巧妙に線を引かれている。わしにすら分からないわしの気持ちまで、全部知っていて知らないふりをしている。それだけは分かるから、わしはいつも苦しくて、もどかしくて、上手く息ができない。

「ううん、なんでもない。カイロあったかいわ」

 ごうっと吹き抜けた風に身震いして、一瞬、今度はHiMERUはんが手袋を忘れて来たら良ぇのにと思う。そうしたら、わしの手でもポケットでも首もとでも、使えるものはみんな使って温めるのに。

 考えてすぐ、HiMERUはんが寒い思いをするのは無しやなとかき消した。大切な人が寒い思いをしていると、自分も寒いような気がする。

 手の中のカイロを見て、思った。そのくらいは自惚れても良ぇんやろか。こんな寒い日にわざと手袋を置いてくるようなあほ、べつに放っておいたってよかったのに気に留めてくれた。

 頬に当てるふりをして、カイロにそっとくちびるを押し付ける。チラッと目線を上げて窺うと、HiMERUはんは半歩先で、空を見ていた。いつの間にか、あたりには雪が舞っている。ひらひら、ふわふわ、あほなわしを慰めるみたいに。

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