引き出しを開けて、閉じる。この3週間、同じ動作を幾度となく繰り返してきた。初めは紙袋が潰れていないか、リボンはよれていないかを確かめるために。今は、吹けば飛びそうな覚悟をぎゅっと押し固めるために、かかとを持ち上げ覗き込む。下着や靴下のかごの手前には、包みが二つ。それから、ティッシュペーパーを丸めただけのてるてる坊主が倒れている。
「明日も雨みたいですねぇ」
湯上りのジュンはんが、ペットボトルを手にカーテンをめくる。引き出しを閉め、消えた背中を追いかけると、ジュンはんは大きなボトルに口をつけたまま目だけで笑って、中へと迎え入れてくれる。
「天気予報は夜には晴れるっち言うとったで……まあ、とてもそうは見えんけど」
今の今まで信じていた予報に一言文句を付け足して、窓枠に頬杖をつく。見上げれば、網戸越しにしても黒い雲がどんよりと厚く、窓いっぱいに敷き詰められている。
「夜ですか?」
「え、うん……あ、七夕のことやなくて?」
「ああ、七夕って明日ですっけ。オレはてっきり、サクラくんが天気を気にしてるのはHiMERUの誕生日だからかと思ってました」
濡れ髪をタオルでわしわし拭きながら、ジュンはんが微笑む。薄暗がりの中でも、茶化す気は毛頭ないのが眼差しから見てとれて、小さく笑い返す。
図星を突かれてドキッとした。これが燐音はんやったら末代までからかわれるところやった。しかし、ジュンはんにそんな話したっけな。同じ部屋とはいえ、人のことをよう見とるもんやなと感心する。
「うん、それもあるけど……んー、なんて言ったらいいんやろ?」
適当な言葉が見つかったところでジュンはんに教えるわけにはいかないのに、つい考えながら声に出してしまった。頭の中にあるものを口から出したからといって、不安は欠片も減りやしない。ずっと明日を心待ちにしてきたくせに、いざ明日がくると思うと、心臓が浮いているような心地がして落ち着かない。
気休めでいい、何か芯になるものが必要だった。不恰好なてるてる坊主はちょっとした験担ぎであり、一世一代の賭けであり、決意の表れでもある。
明日、HiMERUはんと2人きりになれたら渡したいものがある。ただそれだけの目的に本来天気なんて関係ないけれど、実行するのは晴れた時だけと決めている。お空の逢瀬が叶うくらいの日なら、わしの粗末な目論見も首尾よく運ぶかもしれない。そう思って、このところ天気ばかり気にしていた。
「分かんないですけど、晴れるといいですね。せっかくのHiMERUの誕生日と七夕ですし、そろそろ洗濯もしたいですしね」
「そっか、こないだの晴れ間はジュンはんおらんかったもんな」
部屋干しがどうの、湿気がどうのと話していると、呼ばれているとでも勘違いしたのか、しとしと雨が降り始める。
「あーあ。すぐ止みそうですけど、明日もダメならパンツだけでも乾燥機かけようかな」
髪乾かしてきます。ジュンはんはカラッと笑って、カーテンから出ていく。広がった隙間から明かりが差して、窓にぼんやり、憂いに満ちた顔が浮かぶ。自信のなさが眉に、目に表れていて、なんとも情けない。わしが決めたことやろ、しゃきっとせえ。軽く両頬を張り、気合を入れ直す。
HiMERUはんと2人きりになれたら……わしはちゃんと言えるやろか。まっすぐに目を見て、お誕生日おめでとうって。生まれてきてくれてありがとうって、言えるかな。
引き出しのプレゼントは2人分ある。一つは、パーティーでHiMERUはんに渡すペットボトルホルダー。夏はコーラがすぐに温くなって困るっち話を覚えていて、6月に入ってすぐ、ラブはんと出かけたショッピングモールで選んだ。
つるつるとした感触の紙袋ごと引き出しに仕舞い込んで、7月7日を心待ちにしていた。開けては閉めて、HiMERUはんが喜んでくれる姿を何通りも思い描いた。使ってくれるかな、色はこれでよかったやろか。昨年はネットで見繕ってしもて、あんまり好みじゃなかったかもしれんけど、今年はいい線いったんと違うかな。
けれどある日、わしのしょうもない話がツボに入って息ができなくなったHiMERUはんの背中をさすりながら、思ってしまった。わしが見たいのはこの人が喜ぶ顔やのに、この人にはプレゼントあげられんのかな……あげたいな。
この人は、誕生日を誰かに祝ってもらってるんやろか。例えば昨年は? もし、そうではなかったらと考えると、喉の奥がキュッとして、心が落ち着かなかった。わしが大勢の人にプレゼントをもらうようになったのはアイドルになってからやけど、実家でも誕生日はいっそ鬱陶しいくらいに祝ってもらっていた。誰にもおめでとうっち言ってもらえん誕生日は、それは、とてつもなく寂しいもんじゃないやろか。
それから、暇を見つけては街に出て、もう一つのプレゼントを探し歩いた。HiMERUはんの好みはわかりやすいというか「正解」があって、聞けば答えてくれるけれど、今度はそうはいかない。ショッピングモールや雑貨屋、慣れないデパートまで冷やかして、最後はHiMERUはんと桜餅を買った商店街にたどり着いた。
和菓子屋のはす向かいに、呉服屋と並んで小間物屋がある。足を踏み入れると同時に白檀の匂いに包まれて、ちょっと困ってしまった。わしはこういう方が落ち着くけど、少なくともHiMERUはんは好まんやろなと思った。プレゼントを渡すなら、HiMERUはんにも気に入ってもらえるものじゃないといけない。漠然と、それだけは分かっていた。
ここもあかんか。次は書店でも当ろうかと踵を返した時、小箱が雑多に積まれた棚に目が留まった。無造作に置かれた、なんの装飾もないつげの手付き櫛。堅忍質直というのか、しゃんと背筋を伸ばした静かな佇まいが一目で気に入った。髪をとく姿を想像して、浮かんだ横顔にどこか似ている気がした。
包んでもらっている間、店主のお婆はんが手入れの仕方を説明してくれた。レジ横の缶から取り出した黒飴を一つわしに握らせて、藤色の和紙を綺麗に折り畳むしわくちゃの手。去り際、昔は結婚を申し込むときに櫛を贈る文化があったと教えてもらった。
粋な話やなと思ったけれど、プロポーズどころか、わしには告白さえするつもりはない。好きなんて言ったって、わしがすっきりするだけで、きっと困らせてしまう。
だから、本当は二つ目のプレゼントは渡さないほうがいい。用意しておいて、心からそう思っている。ただ好きな人にお誕生日おめでとうっち言いたいだけ。でも、その気持ちがHiMERUはんを暴くことになるのも、困らせるのもわかっている。受け取ってもらえない可能性だって十分にある。それでも、好きな人が寂しい思いをしているかもしれないと思うと、心臓が捻じ切れそうなほど寂しかったから……だから、わしはCrazy:Bの一員らしく、天運に任せることに決めた。
見えるはずもない天の川を探していると、ドライヤーの音が止んだ。さっさと風呂に入って、少しでも早く布団に入らないといけない。どう考えても、今夜はすんなり寝付けない。晴れたのに寝不足で不細工になってしまったら最悪や。
引き出しを開けて、くたびれたてるてる坊主を窓辺に吊るす。一番気に入っているパンツを取り出して、閉める。和紙の包みは凛として、今かと出番を待っている。
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