会計を待つ間、身の置き場を求めて店内を彷徨う。さんざん見て回ったシャツやセットアップをもう一度、検分でもするかのように捲って歩く。一緒に商品を選んでいたのに、支払いの段になると自分だけが浮いて感じるのは何故なんだろうか。
昇龍の刺繍が施されたTシャツを手に取って、店員に気付かれる前に素早く戻す。間違っても「お似合い」だなんて世辞を言わせるわけにはいかない。本心からの言葉なら尚のこと悪い。HiMERUには、シンプルで洗練されたデザインの洋服こそが似合うと決まっているのだから。
レジを見ると、桜河はスマホを手にじっと何かを考え込んでいる。おおかた、またアプリのパスワードを忘れてしまったんだろう。妙にネットリテラシーの高い子だ。使い回しをしないのは結構だが、外へ出て以来、使うサービスが一気に増えたおかげで記憶が追いつかないらしい。
申し訳なさそうにへにゃっと笑う桜河に呆れた顔を作って見せる。実際には、忘れてしまうのもまあ仕方がないなと思っているのだが。桜河御用達のショップは、16歳には少し背伸びした価格帯の商品が並ぶ。Crazy:Bの稼ぎではワンシーズン1、2着が関の山。ログイン期間が切れてしまうのも当然といえば当然のような気がする。
いい加減「客」のポーズの手札も尽き、できるだけゆっくりとレジへ戻る。道すがら、ふとショーケースに目が止まった。桜河がほとんど着けないので気に留めたことはなかったが、Tシャツにすら龍を背負わせる店のアクセサリーはどんなものなのか、純粋に興味が湧く。
覗き込んでまず、なるほどと思った。般若、鎧武者、鯉。目に飛び込んでくるシルバーのインパクトが強すぎる。特に般若のリングは護身用なのかと問いたくなるほど立派な角が伸びていて、万一桜河がこれを欲した場合どうやって止めたものか考えあぐねる。
どこを見ても何かしらのモチーフと目があう。視線のやり場に困っていると、反対側には比較的落ち着いたデザインが並んでいることに気がついた。どこのカップルが身につけるのか分からないが、こちらはユニセックスなのかもしれない。狐面のピアスや透かし彫りのバングル、それから場違いなほどシンプルなチョーカーが整然と陳列されている。
事実、この店では場違いなんだろう。華奢なベロアとゴールドのチェーンを小さな石でまとめただけ。一際シックで目を引くそれは、プライスダウンと書かれた一角へ追いやられてしまっている。価格からして石はイミテーションだろうが、ころんと丸いアンバーがどうにも気になって思わず手を伸ばす。
待ち構えていたかのように飛んできた店員に出してもらい、留め具を外していると、桜河が紙袋を提げて戻ってきた。
「お待たせ、何見とるん?」
どうやら満足のいく買い物ができたらしい。ほこほことした笑みを向けられ、着回しの相談にまで乗った甲斐があったなとつられてしみじみうれしくなる。
「ちょうどいいところに来ましたね」
「へ、わし?」
「ええ、これを試してみませんか? 桜河にきっと似合うと思うのです」
瞬く桜河にほら、と両手を掲げて見せる。いつもガラ空きの首まわりにかざしてやると、やはり顔が締まって見えた。胸もとに虎がいない日のいいアクセントになるのではないかと思ったが、見立ては正しかったらしい。
「もっとHiMERUや天城のようにアクセサリーを着けた方がいいかと悩んでいたでしょう」
でもリングは手洗いの度に外すのが面倒で、ブレスレットは持っているし、「HiMERUはんの真似してみよかな」と言って買ったイヤーカフは1週間と経たずに木登りで失くした。
「待って、今のわしの真似?」
「チョーカーならどうです?」
桜河が愛らしいことを言うから張り切って選んだのに、ものの3日で失くされて多少の恨み言はあった。意趣返しのつもりで茶化したつもりが、思いのほか似なかったので無かったことにする。
「ネックレスやなくて? まあ良ぇわ、着けてくれるん?」
「手が塞がっていては難しいでしょう」
答えを聞く前から俯く桜河に苦笑して、するりと首にチョーカーを回す。2人とも薄暗い舞台袖で着替えるときの癖がついているらしい。人差し指の背でくちびる、顎、喉仏をなぞりながら、今はただ後ろを向かせれば事足りたのになと気が付いた。
「はい、できましたよ」
「ん、おおきに」
金具から手を離すと、桜河はいつも通りふるりと頭を振って顔を上げる。
「どやろ?」
くりっと煌めくアーモンドの目に、つんと持ち上げた小さな鼻。褒められると分かっているんだろう、結んだつもりのくちびるがにゅっと笑っている。子猫のような表情か、あるいは首もとに揺れる飾りがそうさせるのか。捕まえたーーなんて得体の知れない感情で一瞬、胸がいっぱいになってしまった。
「お、よくお似合いですよぉ。ただいま鏡お持ちしますんで」
いつの間にか去り、戻っていた店員に間を埋められてはっと正気を取り戻す。捕まえてどうする、養蜂農家にでもなるつもりか。
「とてもよく似合っています。やはりHiMERUの見立てに狂いはありませんね」
視線を切る口実に、ねじれたベロアを直してやる。一歩離れて見てみると、可愛らしい顔つきにはそぐわない、大人びた雰囲気がいっそう増して見えた。艶やかというのかミステリアスというのか、秘密めいた魅せ方は桜河にもきっと似合う。
そう確信を持った瞬間、骨董綺譚の衣装が思い出されて悔しくなった。映像でしか見ていないが、たいそう評判がよかったらしい。やりたいと思ったことが既にDouble Face、もとい斎宮先輩によって成されているというのは、喜ぶべきことなんだろうか。
「ぬしはんはさっきから何を百面相しとるん?」
「桜河にこういったものが似合うことに、HiMERUが最初に気付きたかったと思っていたのです」
「は? なに、そんなに」
似合うん、とまでは恥ずかしくて言い切れなかったらしい。尻切れ蜻蛉を誤魔化すように鏡を覗き込み、伸びてきた髪を耳にかけた。
「苦しくはありませんか?」
「うん。チョーカーっち何かと思ったら、ニキはんがしとるみたいなピタッとしたネックレスのこと言うんやな」
「椎名?」
「ユニット衣装の首輪みたいなん、あれはチョーカーとちゃうの? ウタカタの衣装もそうか」
不意に首輪というワードが飛び出してきて刺されないよう、意図したタイミングで引き出してかわす。
「ああ、あれもチョーカーなのです」
HiMERUが選んだこれはどうです、首輪のようには感じませんかーー逡巡して飲み込んだ言葉を、静かに目だけで問いかける。
本当に、ただ桜河に似合うと思ったから。俺はもう、桜河の意思を無視して何かしようとは考えていない。だから変わらずここに置いてほしいのにと思って、それで捕まえたなんて感じてしまったんだろうかと気付いた。後から後から矛盾が追いかけてくる。
「よく似合いますよ」
髪を整えてやると、桜河はもう一度鏡を確認してからぺこりと頭を下げた。取ってほしいらしい。
「うん、これやと動き回っても何も引っかけなさそうで良ぇね。首に着けるもんは持ってへんし、一つ買うてみよかな」
金具を掛け直し、チョーカーをトレイに置く。
「今日は財布との相談はいいんですか?」
「うん。PBBのおかげでそれなりに潤っとるし、なんとかなるやろ」
今日は秋物のシャツを2枚買った。今度は背中に虎がいる羽織りものと、まだ下ろすには早いコーデュロイ。桜河は値札を摘んで指を折り、ふんふんと何か数えている。
「自分で脱着できそうですか?」
「んーたぶん。それよかどういう服のときに着けたら変とちゃうか、HiMERUはん教えてくれる?」
「ええ、もちろん。今日買ったような暗色のものならだいたい合うと思いますよ」
「そのだいたいっちのが難しいから困るんじゃ」
天城もマネキン買い、椎名がファッションに興味などあるはずがなく、漣もこだわりがあるようには見えない。白鳥が捕まればいいが、白鳥にはアップデートした状態で会って存分に褒められたいんだろうなという気がしている。桜河は否定するだろうが、ラブはんに褒められたと教えてくれる様子からして、なんとなくそんなふうに見受けられる。
「ふふっ、心配ならとりあえず持って来てはどうです? HiMERUが確認してから着けてあげましょう」
「ほんま? そしたら助かるわぁ」
差し出した手に紙袋を預けて、桜河がレジへと戻っていく。今度はすぐにポイントカードを読み込めたのがうれしかったのか、手持ち無沙汰な視線を捕まえ、ニコッと笑ってみせる。
「お待たせ、次はどこ行こか?」
チョーカーはもう外しているのに、駆け寄ってくる桜河は自由気ままな野良猫のように見えた。
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