スティックシュガー2本分の「なにか」

 お冷やしか頼まない「客」たちのため、カウンターの端と一番奥のテーブルは、ピークタイムを除き、基本的に空けられている。ニキは何度か気を遣わないでほしいと同僚に説いてみたものの、今ひとつ効果がなかった。それ以来、もう気にしないことに決めている。考えても仕方がないことを延々考えていられるほど、燃費の良い身体を持ち合わせていない。

 足元の冷蔵庫を探るフリをして、プロテインバーを剥く。一仕事終えてきた身体は、カロリーを補給してもしてもし足りない。口元を手の甲で拭い、立ち上がる。カウンターの隅、手持ち無沙汰なのかせっせと折り紙をしているこはくと目があった。

(折り紙っていうか、紙ナプキンっすけどね)

 白い小さな鳥が、広々としたカウンターを縦横無尽に飛び回っている。手先の器用さもさることながら、細かい作業に回すエネルギーがまだ残っていることにニキは驚いた。

 冬のロケは異様にお腹が空く。単に歩き回るだけでも体力を使うのに、こうも寒いと基礎代謝が上がってしまう。人間が変温動物だったらいいのにと思わないでもないが、とびきり寒い日に食べるラーメンやおでん、とびきり暑い日に食べるアイスやカレーの美味しさがなくなってしまうのは惜しい。

 提供ラッシュ最後のプレートをホールへ出し、一息つく。今日はそれほど混んでいなくて助かった。これなら賄いを食べても問題ない。

 エプロンで手を拭いながら厨房から出る。折り紙に飽きたのか、こはくはスマートフォンに目を落としている。

「こはくちゃん、お腹すいてないっすか? まだかかりそうなら僕の賄い一緒に食べる?」

 近くで見る折り鶴はくちばしが太かったり細かったり、曲がっていたりして、なかなか個性に富んでいた。血液型でレッテルを貼られるのは好きでないのに、ニキは無意識に、こはくちゃんはB型だったっけと思った。いつか、酔った燐音が机に並べた鶴は、どれも端と端をピッタリ揃えて折られていた。

「ううん。HiMERUはん、もうぼちぼち用事終わるみたいやし、このまま待つわ」

 おおきに、と笑うこはくの頬がなんだか美味しそうに映る。暖房がよく効いた店内は、こはくには少し暑いのかもしれない。桃を丸ごと求肥で包んだ大福のような、柔らかな赤み。

(あ、桃食べたいな……ほんと、早く暖かくならないっすかね)

 グラスを満たし、キッチンに戻る。使えそうな食材をピックアップして、炒飯に決める。

 しいたけの軸や春菊の端、豚肉を刻み、大きめのフライパンでサッと炒める。ごま油の香りが漂うと、いよいよ空っぽの胃袋が暴れ出す。手早く卵を炒り、ご飯3合と具材、調味料を放り込んだ。

 一番大きなタッパーに出来たての炒飯を移し、バックヤードに戻る。3合の炒飯に苦笑する同僚に会釈して、大さじで口に運ぶ。バッシングと食器洗いがともに新人らしく、スプーンの類が足りていなかった。食べ終わったら手伝いに行こうか。それにしても、大さじは流石に、店長に知れたら怒られるかもしれない。

(こはくちゃんはもうご飯にありつけたんすかね)

 外ロケは早朝から始まって少し押し、11時には終わった。燐音は着替え終わるとすぐ、新台だなんだと言って元気よくロケバスを飛び出して行った。ESビルに用があるというHiMERUが早足に続き、こはくはそれを待って昼を食べるのだと話していた。ニキは12時からのシフトに間に合うよう、何か軽く食べてから向かおうと思っていたけれど、放っておけばそのまま外で待ちそうなこはくが気になって、連れ立って出勤することにした。

 誰かが寒いところにいたり、お腹を空かせていたりするとソワソワしてしまう。それが好きな人たちだと特に。自分が嫌なことだから、知らず共感してしまうのかもしれない。

 ニキはなんとなく、HiMERUにもそういう節があるような気がしている……「嫌なこと」が空腹ではないとしても。歳下には特に心を配って歩いているように感じる時がある。なかでもこはくのことは群を抜いて目をかけていると思う。あれは何と言えばいいのか。

 こはくはかわいい。クッキーの粉を懸命に捏ねる横顔を思い出す。こはくと過ごしていると、弟がいたらこんな感じなんだろうかと思う瞬間がある。燐音が一彩を可愛がるのも、こはくの姉たちが何かと彼の世話を焼くのも、なんとなく分かってしまう。

 とはいえ、HiMERUのそれはまた少し違う気がする。特に先日の行動には度肝を抜かれた。机に並んだ四つのカップ。HiMERUは手元のコーヒーにスティックシュガーを2本、続け様に入れたかと思えば、ブラックが飲みたかったのにうっかりしていたなどと言い出した。

(あれは何だったんすかね。こはくちゃんがブラック飲めないのは分かるっすけど)

 HiMERUと交換したカップをすするこはくを前にしていると、ニキは無糖のはずの自分のコーヒーまで甘く感じた。

(ていうか、こはくちゃんお砂糖2本要るんすね……)

 タッパーの角についた米粒が取れず、コンコンと机に打ち付ける。大さじは一度にたっぷり口に含めて案外便利だったが、細かい作業には適さない。

 なんとか全ての米粒を拾って厨房に出ると、こはくがまだカウンターにいるのが見えた。もうすぐ1時半になろうとしている。

「こはくちゃん、HiMERUくんは?」

 近づいて声をかけると、鶴が紙ナプキンの箱に収まっている。

「さっきES出たっち言うとるから、もう来ると思う」

「そっか、よかったっすね」

「ん。長居して堪忍な」

 机のスマホがブブッと音を立て、箱の中の鳥たちが微かに震える。シチュエーションにもよるが、ありがとうやごめんなさいはある程度、誰が使っても気持ちのいい言葉だと思う。けれど、こはくがちょっと添える「おおきに」や「堪忍」はさらに、心の柔らかな部分をくすぐってくる。

「今日はいいっすよ。僕が連れてきたんすから」

「コッコッコ。おかげであったかかったわ」

 空いたカウンター席を片付けながら、店内を見渡す。少し前までほとんど埋まっていたテーブルはもう、数組しか残っていない。平和な平日の昼下がり。

「今日は何食べに行くんすか?」

「和食。デザートのお汁粉が評判やっちお店、HiMERUはんが聞いてきてくれてん」

 お汁粉と聞いた時点でHiMERUくんが誘ったんだろうなと思ったけれど、ニキは静かに微笑んだ。持ち上げたトレーの上、氷がカラカラと鳴る。

「美味しかったら今度、僕にも教えてほしいっす」

 こはくは砂糖2本と知った後、HiMERUと言ってみたことがある。

「HiMERUくんて、こはくちゃんに甘いっすよね」

 もしかして自分では気付いていないんじゃないかと思っての問いではあったけれど、果たしてそれは的中していた。

「桜河は天城や椎名と違ってかわいらしいですし、悪さもしませんからね」

「僕と燐音くんの悪さを同じ括りでまとめるのはどうかと思うっす」

 問いの答えは得ても、言いたいことは半分も伝わっていない。ニキはそう思いつつも適当な言葉が思いつかず、お腹も空いていたので深追いしなかった。指摘した「甘さ」は、ただ希望を叶えてやるとか大目に見るとかそういうことじゃない。

(もっとこう……うまく言葉にできないけど、とにかく甘いんすよね~)

 ダスタークロスを手にフロアに戻る。ふとカウンターに目をやると、パッとこはくの表情が明るくなった。視線の先には、早足で横断歩道を渡るHiMERU。黄色いイチョウの葉が北風に揺れている。

「じゃあね、こはくちゃん。いってらっしゃい」

「ん。いってきます」

 こはくが上着を着やすいよう、スツールを引いてやる。そう、これくらいのことはするし、こはくはかわいいけれど、ニキにはどうしても砂糖を入れてカップごと変えてやる自分が想像できない。

(僕だったら、使わない砂糖を目の前に置いてあげる……かなあ)

 店内に入ってきたHiMERUは珍しく、解いたマフラーを首にかけていて、よほど急いで来たのが見てとれた。

「桜河、ごめんなさい遅くなりました。行きましょうか」

「おつかれさん。もうお腹ぺこぺこやわ」

 ほらやっぱり、と思いながらニキは背中を見送る。小さく手を振る二人に布巾ごと手を振り、こはくの席を片付ける。

(なんていうか……甘いんすよね、声とか顔とか。こういうの、なんて言うんだっけ)

 グラスと小箱をトレーに乗せ、誰もいなくなったカウンターを丁寧に拭く。この鶴は捨てちゃっていいんすかね、と考えながらキッチンに戻り、溢れかえった食器を洗うべく袖を捲る。

(あれ、さっき何考えてる途中だった気がする。なんだっけ、甘い……あーお汁粉いいな。お餅買って帰るっすかね。燐音くんも食べるかな)

 新人を手伝って、予洗いした皿やフォークを次々とウォッシャーに突っ込んでいく。考えても答えが出ないことは考えないに限る。そうこうしているうちにカフェタイムが始まって、夜のピークがやって来る。

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